キミ、退屈なんでしょ?

このブログは、「当たり前」を深く追求する、見てくれた人の世界を一変させる、24時間365日出会える、「なかだみきと」のフロントエンドです。

今日はコーチングのクライアント[35回目]でした

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こんなの買っちゃいまして。

 
ちょりーっす!
おら、みきと。
 
Amazonのタイムセールスであったんで。
ついつい・・・。 
POWERbreathe (パワーブリーズ) プラス スポーツ (重負荷) レッド

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呼吸筋を鍛えるツールだそうで。

 

必要かと問われると、「どうかな?」なんですけど。

きっと、何かあるんでしょうね。
 
何を目指しているか?
それは僕にも教えて欲しいぐらい。
 

その時、目、開けてる?

3月22日はコーチングのクライアントでした!
 

前回の振り返り

「寝っ転がって、コーチングをやってみよう」というチャレンジ。
 
コーチをしているとき、「体に力が入っちゃう」瞬間があって、その時、何だか自分じゃなく、とても焦った感じになってしまう。
でも、寝っ転がっていると、不必要に体に力を入れなくて済む。
 
だから、寝っ転がるの大好き!
 
そんなとこからチャレンジをしてみた・・・はずだった。
 

 

正解・不正解
質問に、自分から出て来る言葉を出す。
 
ただ、何だか「うわずった」感じ。
 
そう。
自分が見ていたのは、「その行動が成功するかどうか」=「コーチングが上手く行くかどうか」。
正解・不正解を探しに行ってた。
 
どんな自分になりたかった?
そこじゃない。
コーチング」において大事なのは。
 
大事なのは、「望む自分に向かって進めているか」。
もしくは「どんな自分でいるか」。
そこをスゴく問われている。
し、「コーチ」は聴いてくる。
 
このチャレンジで言えば、
・何にも囚われない
・頭を使わずに、心いっぱいに感じる
・力を抜いて、へあ~っていうだらけたエネルギー
そんな自分はそこにいられたか、存在したか。
そこへのチャレンジだったはず。
そこがやりたかったはず。
 
目を瞑っちゃう
コーチング」を学ぶ身で有りながら、そこがすっぽり抜けた自分が、もの凄く恥ずかしい・・・恥ずかしい。
 
んで、もう一つの注目ポイント。
忘れているだけじゃなく、大事なポイントの時に、「目を瞑っちゃう」場合が多い。
 
ホラー映画で、襲われているシーンに目を瞑っちゃう!みたいな。
そんな状態になってしまう。
 
そういう楽しみ方もあるけど。
それがしたくてしてるなら良いんだけど。
 
裏にある想い
「ま、良いんですけどね」って感じのニュアンスで答える。
 
そうすると、
「メチャ面白い!って言ってないよね?」
「見るのイヤなの?何で言い訳してるの?そもそも見ようと思ったのは何で?」って返ってくるのはもう分かるよね。
 
「ごまかしの言葉」の裏に込められた思いってのは、「絶対バレる」。
何で自分にウソついてんの?それでいいの?」って聴かれる。
のが、コーチングです。
 
でも、そこから一つ一つ、解きほぐして、
何があるのか?
何で目を瞑っちゃうのか?
自分はどうしていきたいか?
を探求して行くのが、今回のコーチングになります。
 

今日のお話

テーマ:目を開けて見ていない時、自分には何があるのか?
 
今回は、コーチングセッション中に気が付いたこと加え、それを後で振り返りながら、後解釈や気付きが多く含まれた形になっています。
と言うのを、自分が後で見たときに、勘違いしないように記しています。
 

チャレンジって何?

事の発端は「チャレンジ」から始まったんだ。
 
自分にとって、チャレンジとは、「自分を変えてくれるモノ」。
そういう風に見ている。
 
でも、その裏にある想いは、
・動けなくなるのが怖い
・動けていない自分に価値はない
・願いから、心からの行動じゃない
 
「変わらなきゃ、ダメ人間になってしまう」
そんな怖さが見え隠れしてるんだ。
 
なぜ目を瞑っちゃうの?
今回のチャレンジで目を瞑った時って、「人に向き合った時の怖さや怯え」があった。
 
やっぱりね、「人に嫌われるのが怖い」ってのが基本スタンスであるよね。
 
それがあると、例え自分が「こんな状態でいたい!」って願ってチャレンジする。
でも、「人に嫌われるのが怖い」って、思ったその瞬間、目を瞑ってしまう。
 
目を瞑ること
んでね、目を瞑るのが悪いって言ってるんじゃない。
 
自分がそこに「引っ掛かってる」ってのが分かってるクセに、無視しようとしている。
その状態を「望ましくない」と思ってるのに、見ようとしない
 
そのことが悪い。
あんまり、良い悪いで判断したくないけど。
こと自分のことに関しては、自分がよく知っている
 
自分のことをどう思っているかはね。
 
弱い自分
チャレンジには「変わりたい」っていう想いがあって、「変わらなきゃいけない」というがあった。
 
それは、自分のことを「弱い存在」だと思っているから。
人前に立って、たじろぐ、焦る、あたふたする、出来なさを晒す。
 
自分は弱く、人前で揺らぐ存在。
 
そんな自分が嫌いで、どうにかして見せないように、そして自分で見ないように
そんなことが自分の中にあった。
 
でもそれは、ホントに「弱いこと」なの?
そして、ホントに「自分は弱い存在」なの?
 
チャレンジとは、そこを「確かめに行くこと」じゃないのかな。
そして、そこに気付き、向き合えることは、もうすでに「強いこと」なんじゃないのかな。
 
さらに「弱い強い」を飛び越え、「こうなりたい自分」になれたとき、もっと広がった世界で、ワクワクしながら色んなことが出来るんじゃないかな?
 
今はそう思う。
 

チャレンジ

ということで、今回のチャレンジは、「怖いのど真ん中を見てみよう」ということ。
 
「怖いな」と今自分が思っている瞬間に気が付くこと。
そして、その瞬間、目を開けて見てみること。
 
確かめに行くこと
そうすることで、
・どんなときに怖いか
・何が怖いか
 
ということを確かめたい。
 
どんな自分でいたいか
自分で持っておきたい、自分への強い願いは、
・今の瞬間に目を反らさない自分でいたい
・ちゃんとそこに居続ける自分でいたい
・恐れや怖さに向き合える自分でいたい
・向き合える自分に気が付く自分でいたい
 
という願いを忘れないでいたい。
 

最も避けたいことに向き合う

今回は「うーん、うーん」回でした。
なので、「自分が持っているエネルギーから湧き出る、自分への明確な気付き」は起こっていません。
そう見えるとすると、解釈の部分。
 
ただ、「大きな問い」を見つけます。
 
どちらが良いかは分かりません。
「明確な気付き」があれば、確かにワクワク行動出来るでしょう。
でも、振り返りのような状況にも陥りがちです。
 
今回は、苦しいまま終えていきます。
でも、そのインパクトが、日常に戻ったとき「自分が向き合いたかったモノ・自分が避けていたモノ」に気が付かせてくれます。
 
そして、何故苦しかったか。
それは「自分が最も避けたい」から。
そこに向き合おうとするから。
 
そして、その「うーん、うーん」は、ここいら2-3週間前の言動に、よく表れています。
 
つまり、何が言いたいか?
ハッピーな空気で終われれば良いが、そうじゃないときだってある
苦しいセッションだって、泣きたいときだって、逃げ出したいときだってある。
 
でも、「最後は、自分がどうしたいか、だよね?」ってこと。
願いを忘れないであげてね」ってこと。
それを、ここに記しておく。
 
ということで、「マイコーチ」大下千恵さんとのセッションでした!
 
そんじゃーね!
夜更かしされる方、おやすみ!
起きて読んで下さった人、おはよう!
お昼の方、おひるねして!