キミ、退屈なんでしょ?

このブログは、「当たり前」を深く追求する、見てくれた人の世界を一変させる、24時間365日出会える、「なかだみきと」のフロントエンドです。

「あたま」で考えないと、不安なんだけどね

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牛乳のMください!
 
ちょりーっす!
おら、みきと。
 
今、久しぶりにマックに。
これ書くために入ったけど。
牛乳だけを頼む勇気がなかった・・・。

てか、デスクワークだけなら、これだけのワークスペースでも、十分だよね。
ノマドワーカーってのはこうして仕事してんのかな?
 

 
昔より、できるようになったなーってことの一つに、「あたまで考えすぎない」ってことがある。
 

「あたま」で考えない

 
「あたまで考える」というのは、自分が何かを気にして、自分の「やりたい!」に制限をかけること。
 
さっきの牛乳の例がそうだ!
・牛乳飲みたいな~(純粋な気持ち)
⇒店員さんに注文すると、何で牛乳だけなの?みたいに思われそう
⇒店内で、牛乳パック飲んでると、変な人と思われそう・・・
⇒でもさっきコーヒー飲んだから、コーヒーは要らないし・・・
⇒まあ、要らないけど、カフェラテにしとくか
 
うお!「出来るようになった!」とか言ってたのに!
まあ、そういうのにも、気が付くようになったんだよね。
それだけでも、前進なんだよね。
 

 

大事なことを、頭で考える

何かを選ぶとき、最初の「純粋な気持ち」に、自分の本心の種が隠れていることが多い。
 
でもね、やっぱ種だから、「ホントかな?」なんて考えちゃうんだよね。
その迷いが、「言い訳軍団」を引き連れてくるよね。
熟慮を重ね、多方面に配慮し、自分が「納得」出来る方向に向かう。
 
その時点ですでに、自分の「したい!」に向き合わず、納得させるために「説得材料」を探してまわる。
 
そうやって、頭のなかで、2・3回考えを重ねると、「よく考えて選んだつもり」の気分になっちゃう。
 
でも、ほんとはね、牛乳が欲しかったんだよね。
飲んで、「あ~!やっぱ牛乳、うまいな~!」ってのを実感したかったんだよね。
 

昔々

いつも、「したい!」に向き合わず、自分を説得ばかりしてたんだよね、私。
だからさ、どこから取ってきた「みんなが言ってる正しさ」で、自分を作り上げていったけど。
 
小さな不安は無かった。
明日のことや、一週間、一年後のことも。
 
でもね、いつか死んでしまうことを考えると、今生きていることが、壮大な無駄にしか思えなかった。
「自分の生き方」に納得が、全然いかなかった。
自分が「生きている」気がしなかった。
 
もうね、自分は知っていたんだろうね、何かわからないけど「したい!」って気持ちに。
じゃあ、今「何がしたい?」って聞かれても、「これ!」って答えられない
 
でもね、小さな「したい!」には気が付ける。
それだけで、嬉しい気持ちがある。
 
もっともっと、あたまで考えた答えじゃなく、「したい!」に向かいたいよね。
 
まあ、結局「アホになる」んだろうね。
 
そんじゃーね!
夜更かしされる方、おやすみ!
起きて読んで下さった人、おはよう!
お昼の方、おひるねして!