キミ、退屈なんでしょ?

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深い気づきを与えてくれる言葉『ニーバーの祈り』①

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最初、何でこの言葉を知ったかな?
 
ニーバーの祈りという言葉があります。
 
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

 

ニーバーの祈り - Wikipedia

 
 
アメリカの「依存症の回復プログラム組織」で掲げられている言葉です。
 
私的には、「今自分がどこに立っていて、何で迷っているか」の入り口を見つけてくれる問いに聞こえるのです。

 

ニーバーの祈り

それぞれを私目線で見てみます。
 
後ろからさかのぼって説明しますよ!
 

あなたは見分けられる?

「識別する知恵を与えたまえ」
これは識別=見分ける、とも表現されています。
 
2つのモノは別物なのだ!!
それを別物と認識するのは、知恵が必要だと説いています。
 
いや、違うものだったら、すぐわかるやん・・・。
それが、ややこしいから分からないんです!
その2つとは何か。
 
「変えることができるもの」と「変えることができないもの」です。
 
どうして良いか分からない
あなたのついついしてしまうクセはなんですか?
それは変えられますか?
 
あなたを困らせている人は誰ですか?
それは変えられますか?
 
あなたが自分で嫌いなところはどこですか?
それは変えられますか?
 
それは本当ですか?
 
どれが「変えることができるもの」で、どれが「変えることができないもの」でしたか? 
 
想像しただけで反射的にイヤになるもの、ありますよね。
 
私は日々、それに振り回されることがあります。
 
なぜでしょうか?
 
それは、「変えることができるもの」を変えようとせず「変えることができないもの」を変えようとしているからかも知れません。
 

ストーカーとだだっ子

「変えることができないもの」の代表で、一番難しいのは、「他人」を変えようとすることです。
 
自分がなかなか変われないのと同じです。
 
変えられないとは言っていません
 
ただ、そこで時間や力を無駄に使い果たし、あなたがすべきことが疎かになり、生活に支障をきたすレベルになるまで、変えようとし続けることに意味はあるのでしょうか?
 
持って行かれている
私が、何かモヤモヤしたときに、最初に考えるのがコレです。
 
人であったり、環境であったり、自分自身であったり。
 
ホントは今は変えられない、変えなくても良いかもしれないモノを、自分の感情のままに揺さぶられている。
 
心が対象に「持って行かれている」状態になる。
 
「変えることができないもの」をストーカーしていませんかね?
 
単なる「だだっ子」になっていませんか?
 
それで、自分自身を望む方向に向かわせていますか?
 
一度冷静になって、現実を受け止めてみようというのが、「受けいれるだけの冷静さ 」という言葉だと思います。
 
 

足踏みに切り込み

また、どうにかしたいなと思っているのに、その前で足踏みすることが良くあります。
 
誰かに声を掛ける、注意する、抗議する、提示する。
 
変えることができるものは、往々にして、自分の行動が主です。
 
自分から行動を起こすことが、とても勇気がいります。
 
私ができない権化みたいなものですから!
 
でも、変えられるかもしれないと気が付いたときは、ホントに変えるキッカケになるんです!
 
 
コーチングのクライアントの時に「あああああああああああーーーーーーー!!!!」と言っているのは、「変えられるかもしれない」切り込みを見つけたときです。
 
勇気がいるポイントを見つけたときです。
 
まるでパズルが嵌まるがごとく、感覚が繋がっていくんです。
 
変えられるかも知れない! + 変えたい!が揃ったときに、初めて「勇気」をぶち込んでいく
 
その瞬間を、私はいつも待っています。
 
 

嫌われる勇気

今の二つは、「嫌われる勇気」の「課題の分離」がベースにある見方をしました。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

日常では、このように考えて、ヒントにしながら、行きつ戻りつの日々を送っています。

 

願い

もう一つ言うなれば、その中で、「自分が大切にしたい願い」というのを見つけてあげたいなと思っています。
 
死にたいと思いながら生きる人はいません。
 
「良く生きられない」から、死にたいと思う人はたくさんいます。
 
裏を返せば、「良く生きたい!!」という想いを、自分自身に願っているんです
 
そこに気が付くために「知恵」が必要になると思うのです。
 
・・・・お?うまくまとまった?
 
 
今回は、思いつきだけで書いてみました。
 
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

 

この説明に全然繋がっていないなーと思いつつ。
一つ一つの言葉でも結構有用だと思います。
 
次回は、そこに繋がるようにまとめていこうと思います。
 
そこはまた今度!
 
そんでは!
夜更かしされる方、おやすみ!
起きて読んで下さった人、おはよう!
お昼の方、おひるねして!