キミ、退屈なんでしょ?

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そこにお前の正義はあるのか!?

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「正義」って言葉がどうしても嫌いだった。
 
独りよがりで、偏って。
誰かを傷つけ、悲しいことばかり。
必ず何かを犠牲にしている。
そこまで手に入れたものに、何の意味があるのだあろうか?
 
誰かが言ってたけど、「正義の反対は、悪じゃない、もう一つの正義だ」って。
 
それをして何になるの?
 
その、虚しさと意地っ張りさに、なんだか嫌悪感を持っていた。
 

 

でも、その人の「こうしたい!!」って思いを紡ぎ出していると、どうしてもその人の「正義っぽいもの」が出てくる。
 
「これはこうでないといけないんだ!!」
「これを失いたくないんだ!!」
みたいな。
 
それはなんだか、そうだなーって思う。
その人らしさっていうか。
アイデンティティっぽい感じ。
 
 
正義ってもともと、「一つの絶対的正しさ」みたいな言葉だ。
 
そこが嫌いだ。
それでもって、他人を批判し、侵略し、塗り替えようとする。
受けた方は、それで幸せなになれるわけないよ。
 
話は戻るけど。
最近、「正義」ってひょっとして、ステキなもの?って考え始めた。
 
それこそ大事な「階段のステップ」なんじゃないかな?って思い始めた。
 
世界は「正義」で回っているから。
 
誰かの「こうしたい!」が世界に違う形をもたらす。
今までなかったものを作り出し、可能性が広がっていく。
それこそ、豊かになっていく。
 
 
たぶん僕は、その「強いエネルギー」が好きじゃなかった。
納得しないまま、流されていくことに。
強制的に変わっていくことに。
 
「こうでないといけない!」に。
 
それをね。
「こうしたいんだ!」
「こうであって欲しいんだ!」
って言葉に変えたい。
 
正義は、夢なんだ。
世界を変える力なんだ。
きっと。
 
なくしては、前に進まない。
 
今の自分が、昔の自分に投げかけるとしたら。
 
「その夢に、お前の正義はあるのか!?」
「お前はこの世界をどうあって欲しいんだ!?」
って、言ってあげたいかもな。