心からの笑顔が見てみたい
僕は、ちょっと前まで「愛」の定義を「向き合うこと」って考えていた。
定義って「行動」か「目的」で考えたいんだよね。
じゃないと、なんか掴み所がない。
んでんで、今日ちょっと再定義。
「愛」とは相手の「心からの笑顔を見ること」だなーって。
向き合うことだと、ちょっと重いんだよね。
悪くはないけど、面白くないんだよね。
そこで止まってしまう。
さらに楽しさが欲しくなった。
というとこから、もうちょい「愛」について考える。
例えば、母が息子を溺愛する。
悪いことではない。
でも、「過干渉だなー」って思う話も聞く。
それも「愛」だと言い張れば、そうなのかもしれない。
もう一つ。
DVとか。
暴力も、相手を思えばこその「愛」なんだ!って言い張れば、そうなのかもしれない。
でも、受ける側はどうなのさ?
それで嬉しいの?
その「愛」と言われる行為は、支配や強制が入っているよね?
なんか違うよね。
望んでいるのは「支配や強制」だよね。
お人形さんにしたいんだよね。
何となく「愛」っぽくないよね。
ごまかしてるよね。
相手は、「愛」だと思えるかい?
もうね、単純に、相手が嬉しかったらいいんじゃない?
僕はそう思うよ。
相手にコレをしてあげたい!って思えるのは、相手の「笑顔」がみたいからなんだよね。
それも「心から」。
そんなことがしたいんだ!