生きているだけで苦しい人を救いたい
今日、急に出てきた。
僕は「"生きているだけで苦しい人"を救いたい」という願いがある。
僕が最大級にしたいこと。
これからしていきたいこと。
生きているだけで苦しい
単純に、自分がそうだから。
僕は、生きてるだけで全然苦しいよ。
自分はダメダメ
自分がままならない。
殻にすぐ閉じこもる。
自分の言動を気にする
出来る人を見て妬む。
朝起きるのが辛い。
責務を投げ出したくなる。
先延ばしをしまくる。
約束を破る。
そんな自分がダメダメすぎて、生きてる価値なんてない気がする。
未だに、自分の言動に自信がない。
常に不安だ。
素敵じゃない自分がすること
僕は、人の生きるエネルギーを後押しし、なりたい自分を共に探求する、「コーアクティブ・コーチング」という活動をしている。
でも、「そんなダメダメな自分」がそんな活動するのは、おかしいんじゃないのかな?って心の何処かで思ってる。
うまくいかないんじゃないか、期待に答えられないんじゃないか。
だから、
「もっとダメダメじゃない、もっと素敵で、キラキラ輝いて、自信に満ち溢れて、迷わず囚われない自分にならなきゃ!!!!」
そんなふうに思っている。
そして、そこを探求する度に、自分の出来なさ、不甲斐なさにぶち当たって、さらに自信がなくなる。
そんなバッドループを繰り返しをしていた。
素敵になれない
でも、僕は「"生きているだけで苦しい人"を救いたい」という願いが出てきた。
よくよく考えてみる。
「僕が素敵じゃないと、あなたは素敵になれないの?」
何となく違う。
自分はこんなにすごく素敵だ。
だからあなたを救える。
じゃない。
僕は素敵ではないし、自分のことが未だに上手じゃない。
それでもいい。
自分の出来がどうであれ、「生きているだけで苦しい人を見て救いたい」という気持ちは変わらない。
僕の願い
あなたに素敵になってもらいたい。
その笑顔を見て、笑い声を聞いて、心躍るあなたを見てみたい。
僕一人で生きていてもつまらない。
誰かと分かち合いたい。
共感したい。
共鳴したい。
世界がつまらないなんて、もったいなさすぎて嫌だ。
そこも、僕がどうあろうが変わらない。
そして、"生きているだけで苦しい人"と感じる僕だからこそ、"生きているだけで苦しい人"により向き合っていけるだろう。
その縁に、静かに立っている気がする。