納得したい!
僕は結構、「納得したい!」って気持ちが強い。
他人にも、それを求めている気がする。
僕の中にある「納得」という感覚
交渉や話し合いにおいても、いちばん大事にしているのは「納得しているかどうか?」だと感じる。
コレは何なのだろうか?
僕の「納得」
納得ってのは、させられるものではない。
強制的行為ではなく、自発的行為。
「仕方がないからやるかー」ではなく。
「それならこうやろうかー」って。
やらされ感を含まない。
それが僕の思う「納得」だ。
「納得がない」と僕は必死
じゃあ、「納得がない」とどうなるんだろうか。
何となく、全体が進まなくなるし、相手が敵になると思っている。
相手は殻にこもり、こちらの否を指摘し、全体の崩壊を望むと思っている。
そして僕は、 「こうして欲たい!」って言ったことの責任を問われる気がする。
だから、必死に相手が納得してもらえるように、あれこれ考えをめぐらし、表情を伺い、お互いのたどり着きたい場所を探すんだ。
「納得」の先に
ほんとはね。
納得でやるっておかしいって思ってるんだ。
納得の行き着く先は「妥協点」。
限界・上限が決まっている。
それがイヤっていうのは分かっているんだ。
ほんとはね。
「共鳴」ってのでやりたい。
お互い・みんなの「それ良いじゃん!!!」って部分が重なって、そこから前に進んでいきたい。
チャレンジしてみたい。
今まであった限界を超えて、その先に。
自分の中身が震えるぐらい没頭して、ワクワクする。
納得から共鳴へ。
それがいいんだけどなー。