不安大魔王と想定
昨日から不安大魔王と格闘している。
自分の中をブラッシュアップしてみると、一つの言葉が出て来る。
「想定」
僕が何気なくしている、行為。
すべての行動の前にしていること。
それが大問題じゃないのか?
そう思えてきた。
想定することで、行動が制限されているなーと。
例えば、お客さんに問い合わせの電話一つするとして。
話の流れが悪い方の流れないか、不安材料をチェックしとかないと。
いい方向にもし転んだら、すぐ決断できるように、コレができるって伝えられるように考えておかないと。
そんな風に、自然と考えてしまう。
よく「真面目だね」って言われるけど、こういうとこなんだね。
んで。
一事が万事。
僕はこんなことを四六時中、全ての行動において考えている。
今の行動が、先に及ぼす影響まで考慮しながらやろうとする。
一個一個にそんなことしてたら、脳の体力がガンガン削られてしまうよ。
だから、しんどい。
そんでもう一つの問題が。
すべての行動の源に「不安」が隠れている。
不安だから○○する。
どんだけポジティブに言おうが、原点は不安だ。
だから、それを実行しないと気が済まない。
かつ、それが他人に影響を与えることなら、僕の考えたラインを強要しようとする。
他者にとって、そんな居心地の悪い、モチベーションの湧かないものはないだろう。
つまり、「想定=不安」が僕の中で結びついているんだ。
良かれと思ってやっていたけど。
そういえば、以前コーチから僕に、「なんでも清水の舞台から飛び降りるみたいにするんだね」って言われたことがある。
このことだったとは、思いもしなかったな。
想定グセが付いている。
ここから気付けるようになろう。