共感してもいいし、しなくてもいい
最近少しずつ変化してる思いなんだけど。
僕は会話で共感をすごく大事にしていた。
相手がしゃべった言葉を一言一句漏らさず頭と心に留め、その思いを全部理解した上で、ちゃんと返したいっていう思いがあったんだ。
なんとなくそこには熱があって、通りが良くて、いいなって思えてた。
でも、結構ストレスなところもあった。
相手に、ものすごく合わせないといけないから。
もうそれは、頭と心をフルに使ってスポーツみたいになってる。
意図的にやろうと思う時はいいんだ。
でもさ、それが常々癖になってて、それをしないと気が済まなくなってくると、すごく大変。
うまくできなかった時はさ、あーあーって落ち込んじゃう。
普通の会話で落ち込んじゃう。
だんだん息苦しさを覚えるよね。
それともう一つ。
「共感がない会話」が怖くなってくるんだ。
そうなると、
適当な事喋っちゃダメ。
思った事を喋っちゃダメ。
ダメダメを凄く生み出してくる。
そうじゃなくて。
「何をしゃべるか」よりも、
「何を伝えたいか」よりも、
「自分の中にどんなエネルギーがあるか」
「それをどうやって表に出すか」
そこが大事なんじゃないかなって思い始めた。
伝わらなくていい。
出すだけで、相手は好きなことを受け取ってくれる。
それが相手の中で、素敵な何かに繋がったら嬉しい。
そんなやり方もありじゃないかな?
相手を信じるコミュニケーション。
今そこを目指しているのかもしれない。