「技術」は何のためにあるの?
ある人から素敵な話を聴いた。
モノを運ぶ系のお仕事のお話だ。
モノを運ぶとき
(その人自身が、直接指導した話だと思う)
1000万円のモノを運ぶときは慎重になるよね。
今扱っているモノが、1000万円のモノだと思って丁寧に運ぶんだよ。
それが仕事ってもんだ。
今扱っているモノが、1000万円のモノだと思って丁寧に運ぶんだよ。
それが仕事ってもんだ。
とその人は言った。
それを、同じ仕事仲間のAさんに言ったそうだ。
Aさんは、ちがう意見を言った。
プロはそうじゃない。
100円だろうが1000万円だろうが、お客さんのモノは全て丁寧に扱う。
荷物の価値で決めるんじゃない。
それがプロの仕事だ。
その人は、Aさんの言葉に気づきを得て、感銘を受けたそうだ。
想い
最近、お仕事の指針フレーズを考えている。
その一つに「自分のお客さんのお客さんを大事にする」という言葉がある。
私のお仕事はBtoBで、お客の業務の一部を担うお仕事だ。
BtoBはどっかで、自分のお客さんの製品を買うお客さんがいるのです。
(BtoCも結局一緒だけど)
「お客さん」というのを考えると自分の中で色々出てくる
・自分のお仕事は、お客さんがいるから成り立ってるな
・お客さんが喜んでくれると嬉しいな
・お客さんのお客さんが喜んでくれると自分のお客さんは喜ぶんだろうな
・お客さんが自分のお仕事で、怒るより、悲しむのが一番イヤだな
こういったお客さんに対する「想い」というのが、自分がお仕事をする上で「大事にしたい願い」なんだなというのを感じる。
(ここら辺がうまく説明出来ていないなー)
(お客さんの評価を求めているわけではないよ)
(お客さんの評価を求めているわけではないよ)
ここから話が戻るけど。
Aさんもその人も、その「想い」を大事にしたかったんじゃないかなと感じた。
現実的な話
こっからが今日言いたかったこと。
ほんなら、「想い」だけあれば良いよね!みたいな変な考えにはしたくない。
「想い」だけを考える過ぎると、「想い原理主義」みたいになってしまう。
・お客さんがコストダウン言ってるから、単価下げてもしょうがないよね
・喜んでくれるから、お金もらえないけどサービスしとこっか
・「想い」はお客さんに通じてるはずだ!
・お客さん「想い」の自分は、良い仕事してるな
・お客さんのためだから、死んでもやらなきゃいけない
「お客様は神様です」的な発想にもなるよね。
技術というもの
だから、「お仕事の現実」という、もう一つの考えるべきことが出てくる。
正直、悩んでないなら考えなくても良いんだけど。
悩むってことは、やっぱどうにかしたいっていう願いがあるんだよね。
そこで、どうにかしようと思って、「技術」が産まれるんだと思う。
全部、「想い」と「お仕事の現実」の狭間を「どうにかしよう」として産まれたものだ、と感じてる。
どっちも大事なんです!
どっちも大事にしたいから、悩んで、「技術」を高めるんです。
「技術」を高めているときは、楽しいときもあるんです。
でも、それが目的化すると、モチベーションが下がるときがあるんです。
「何か」がうまくいかなく感じてしまうんです。
あ、日ハム優勝しましたね。
ということで、「想い」も「お仕事の現実」も大事にしたいから「技術」を磨くよ!という気付きでした。